ブログを始めた理由の一つ SPLAYについて
ブログを始めるきっかけの一つは、自分が昔よく聞いていたバンドのSPLAYに関することをどこかに書きたいと思ったことだった。
ネット上の記事がほとんどないことにずっともやもやしていたし、もちろん周囲にもSPLAYのことを知っている人は一人もいない。
別に誰かに勧めたいとかそういうわけではない。ただ、自分と同じように当時SPLAYの曲を聴いていた人と気持ちを共有できたらなと思っていた。
アニメREBORNのおかげでSPLAYを知り、CDを買って曲を聴いていたが、急に解散してしまって悲しい気持ちになったことをはっきり覚えている。当時、自分は高校1年生だったので、解散するまで一度もライブを見に行くこともできなかった。
それから、今に至るまで、ふと思い出してはネットで検索してみたりということはしていた。なので、ボーカルの向井さんの記事を見つけたときは本当に嬉しかった。語られている内容については最初は正直複雑な気持ちにもなったが、「やりきった」と次の道に進んだんだなと思うことができて、自分も前を向けるようになったような気がした。
どんなバンドやアーティストにも終わりがあるし、それはファンからしたら悲しいことだけど、楽曲や作品は生き続けると思う。思い出も、ともに生き続ける。これからも大切に聴いていきたい。
抑うつで休職してしまった話
僕はメーカーの研究開発の仕事をしています。
大学の工学部を卒業し、大学の推薦をもらって今の会社に入社し、今年で6年目になります。
製品の仕様構築のための解析・テスト業務が主な役割です。
一般的にはピンとくるような仕事ではないらしく、どんな仕事をしているのかを簡単に説明するのは難しいです。
技術系の仕事は職人のような側面もあり、30歳前後ではまだまだ若手という雰囲気があります。平均年齢も40歳くらいです。
開発している製品についても、技術的には数十年前からあるようなことを使って、コストの削減や環境規制対応業務がほとんどです。
転職を考えることもありますが、業務内容が専門的すぎて競合他社くらいしか選択肢がないんじゃないかなと思っています。せめて、設計の経験があればなあとか思ったりもしますが、自分の会社では設計屋とテスト屋は分かれています。
もやもやした気持ちのまま日々を送っていました。
すると、ある日突然会社に行けなくなりました。
ストレスは感じていましたが、忙しすぎるとか、雰囲気が悪すぎるというわけではなかったと思います。
この仕事に意味があるのだろうか、未来はあるのだろうか、自分は将来どうなるんだろう、ということばかり考えて過ごしていたら、家から出られなくなってしまいました。
復職するのに5ヶ月かかりました。
今思えば、「仕事がつまらない」「この仕事に価値がない」と毎日のように思うことで、自分に自己暗示をかけていたように思います。大学ではソフトウェア寄りの内容をやっていたので、今の思いっきりメカメカしている仕事を心のなかでバカにしていたり、なんかダサいなと思っていたのかなと思います。自分の中でハードウェアよりもソフトウェアが優れている、とか古い技術よりも新しい技術のほうが優れている、という感覚があったのです。
楽しいと思う気持ちもあったはずですが、その自分ごと否定して、「自分の本当の居場所はここじゃないんだ」とか「自分はこの仕事に本気を出したりしない」というような気持ちがあることに気づきました。
自分の心に予防線を張ることで、自分の中のよくわからないプライドのようなものを守っていたのだと思います。その結果、自分が何をやっているのか、なんのためにやっているのか、何がしたいのか、いろんなこと全てがぼやけてしまい、意欲もなくなってしまったのだと思います。
職場に復帰してなんとか働いています。職場の皆さんはあたたかく迎えてくださり、今までと変わらず接してくれています。
休んでいるときにいろんなことを考えましたが、いまはちゃんとこの仕事に向き合い、誇りを持って頑張っていきたいと思います。復帰するとやはりストレスを感じることも多いですが、また調子を崩して同じ状態に戻ってしまうのは嫌なので、前向きに日々過ごしていくように心を整えていきたいです。いかに自分の頭を整理して、進むべき道を決めて、覚悟を持って進むかということが大事かということを思い知りました。
文章を書いてみて、やっぱり自分は書くことが苦手だなあと感じています。
思いを吐き出すだけじゃなくて、自分の伝えたいことが誰かに伝わるような文章を書きたいです。